記憶力は落ちても焦らない

変化を決断する

最近、「学び直し」という言葉をよく耳にするようになりました。リスキリングなんて横文字も飛び交っていますよね。でも正直なところ、少し前の私は「今更勉強なんて」と思っていました。学生時代に戻るわけでもないし、試験を受けるわけでもない。何かを学ぼうとするたびに、「私の年齢でそれは……」という声が自分の中から聞こえてくるんです。

それでも、いくつかのきっかけが重なって、新しいことを学び始めることにしました。コロナ禍の影響も大きかったですし、仕事の環境が変わったことも後押しになりました。たとえばウェブ制作の分野。以前の私はHTMLをゴリゴリ自分で書くくらいが精一杯だったのですが、思い切ってウェブデザインの世界に一歩踏み入れてみたり、スクールに通ってみたりしたのです。

覚えられない自分に落ち込んだ日々

最初にぶつかったのは、想像以上に覚えられないという現実でした。

若い頃は一回読めば、一回聞けば、なんとなく頭に入っていったことが、今は何度読んでも、何度遭遇しても、何度言われても、どんどんザルのように抜けていきます。スポンジのように吸収するのではなく、スポンジを握ったら水が抜けていくように、ジャブジャブとこぼれ落ちていくのです。

メモを取っても、どこにメモしたか忘れてしまう。もうメモすること自体をやめた時期もありました。情報を処理するスピードや、いわゆるワーキングメモリ——頭の中に同時に置いておけることの量——が明らかに落ちているなと実感しています。

これは当然のことなのかもしれませんが、やっぱりだいぶ落ち込みますよね。スクールで学んだことも、身についた技術というよりは、制作の概念やデザインが完成して実装するまでの流れをイメージできるようになった、という程度のものでした。正直に言えば、かけたコストに対して得られたものが見合っていたかというと、ちょっと厳しいところもありました。でも、まったくのゼロだった部分にいくらかのプラスが生まれたことは確かです。

焦らなくなった自分に気づいた

でも、落ち込みながらも同時に気づいたことがありました。今の私は焦っていないのです。

若い頃の学びは「早く、たくさん、正確に」が目標でした。でも今は、なんとなくでもいいから続けること、やめないこと、やめてしまっても再開すること——そちらのほうがずっと大切に思えるようになりました。

ゆっくりでもいい。少しずつでもいい。昔の歌にあったように、少し進んだけどもっと後退する、なんてことも経験しながら、わかることが一つ増えたり、できることが一個でも増えていけば、それはそれでいいじゃないかと割り切れるようになってきました。これは間違いなく、年齢を重ねたからこそ持てるようになった感覚だと思います。

かつてできていたけれど、できなくなってしまったことを学び直す場面もあります。でも時代も変わっているのだから、昔と同じアプローチでやる必要はありません。決して「若い頃の自分にまた追いつかなきゃ」という話ではなくて、今の自分がそうすることによって、ちょっとだけ生活が豊かになるかな、楽しくなるんじゃないかな——そんなふうに思えれば、気持ちも軽くなるのではないでしょうか。

若い頃の自分がやらなかったことを、今やる面白さ

実際に今の私は、若い頃の自分だったら絶対にやらなかっただろうなということに手を出しています。ベランダ菜園の入門書を開いてみたり、登山を始めてみたり。AIを使ってホームページの更新をしてみたりもしています。技術的に完璧にできているかと聞かれたら、まだまだ全然です。でも「やってみた」という事実が、小さな自信になっているのを感じます。

50代の学び直しは、20代や30代のそれとは明らかに違います。吸収力は落ちているし、時間の使い方にも制約がある。でも、焦らなくていいという心の余裕と、完璧でなくてもいいという開き直りは、この年齢だからこそ手に入れられたものだと思っています。

皆さんは、「今更かな」と思いながらも気になっていること、ありませんか。もしあるなら、ゆっくりでいいので一歩だけ踏み出してみませんか。若い頃とは違う景色が、きっと見えてくると思うのです。

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