言葉にすることを怠けてはいけない

変化を決断する

お互いのことを「わかっている」と、いつの間にか思い込んでしまう。長年連れ添った夫婦って、そういうものなのかもしれません。でも私は、このことにずっと小さな疑問を抱えてきました。

所詮は他人同士です。わかり合えることもあれば、どうしてもわかり合えないこともある。「もう十分わかっているんじゃないか」と思っていた時期もありましたし、実際そういう部分もあります。でも冷静に考えてみると、「わかっている」というよりも「予想がつく」というほうが正確なのかもしれません。こうすればこう言うだろうな、こう思うだろうな、こうしておけばこうしてくれるだろうな——そういう予測ができるようになっていく。だから一緒に長くいると、自然と言葉が減っていくのは、まあ普通のことなのかなとは思います。

感情が動いたなら、やっぱり言葉にしたほうがいい

でも、感謝の言葉とか、心配しているよという気持ちを伝えることは、どんなに一緒にいて言葉が減っていたとしても、自分の中で感情が動いたのなら、ちゃんと口に出したほうがいいと思うんです。

なぜそう思うかというと、やっぱり自分自身が実感したからなんですね。思いがけず夫から「心配していたよ」とか「楽しみ」とか「うれしい」、「ありがとう」とか「助かった」と言われたり、嬉しそうな顔が見えたりすることが、やっぱり多いんです。夫の反応に嫌気が差してしまっている方もいるのかもしれませんけれど、そういう瞬間って私は素直に「嬉しいなぁ」「良かったなぁ」と喜べるほうなので、言葉が返ってくること、感情が返ってくることの大切さを、これから先も意識することを忘れてはいけないなと思っています。

「ちゃんと思ってくれていたんだ」「見てくれていたんだ」——その感覚につながるからこそ、言葉に出したり態度に表したりしないとわからないことって、本当に多いと思うんです。それは一緒に長くいて言葉が自然に減ってきた状態でも同じです。年齢を重ねると、疲れていたり、体力的に気力が続かなかったりして、伝える元気が湧かないときもあります。この先、そういうときはきっと増えていくのでしょう。それでも、できるだけ日常の中で感謝とか喜びとか心配とか、そういった気持ちは言葉や態度に出していかないといけないなと、改めて思うのです。

聞かずに贈る、小さなプレゼントのこと

それから、夫へのプレゼントの話です。ここ一、二年前くらいから、積極的に贈るようにしています。「ほしいものがあるか」と聞いてしまうと、「いらないよ」「大丈夫、買わなくていいよ」「俺のことはいいから自分のものを買ってくれ」と言ってしまう人なので、聞かないようにしています。代わりに、普段の生活の中で本人が我慢して新しいものに替えていないものなどを見つけて、色だけとか最小限のことだけ選んでもらって、買ってあげるようにしています。聞いている時点でサプライズではなくなってしまうのですが、たとえ多少高額なプレゼントになったとしても、準備してあげること自体が最近は嬉しいようです。

その後はお返しというわけではないのでしょうけれど、今度は夫のほうが外食に連れて行っておごってくれたりもします。散財や無駄遣いにならないようには気をつけたいのですが、趣味の世界につながったり、一緒に楽しめたり、日々の生活が少し楽になったりより良くなったりすることには、特に誕生日や記念日でなくてもプレゼントしてみる。すると、やっぱり嬉しいんだなぁということがわかりますし、それに対してリアクションしてくれると、「この人と一緒にいて良かったかなぁ」と思えたりするんです。

ドラマチックじゃなくても、日常の隙間に救いはある

テレビのドラマみたいに、何か衝撃的なことが起こったり劇的に何かが変わったりすることは、私たちの日常にはありません。でも、私みたいなごく普通の人間でも、日常の隙間にちゃんと嬉しい瞬間はあるし、自分を救ってくれる夫のリアクションがあるんだなぁと、最近になって改めて気づきました。大げさな話ではないけれど、少し救われるなぁ、結婚して良かったかなぁと思える瞬間が、ふとした日常の中にちゃんとある。それだけで、五十年以上生きてきた日々が、少しだけ報われるような気がしています。

皆さんは、パートナーや大切な人に「わかってくれているはず」と思って、伝えずにそのままにしている気持ち、ありませんか?

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