白髪染めをやめた日——「他人の目」から自分を解放するということ

受け入れる

洗面所の鏡の前に立つと、母親によく似た女性がこちらを見つめています。視線の先でキラリと光るのは、生え際の白髪。ため息交じりに「また美容院へ行かないと」とつぶやく朝が、いつからか日常になっていました。

「少しでも若々しくいたい」「きちんとしていなくては」——そう思い続けてきましたが、ふと立ち止まって考えます。この気持ちは、本当に自分の内側から湧いてきたものなのでしょうか。それとも、テレビCMや雑誌の広告に長年刷り込まれてきた美意識や、見栄のようなものなのでしょうか。

50代は、心も体も大きく変化する年頃です。白髪だけではありません。シミやしわ、体型の変化など、自分の力ではどうにもならない波が次々と押し寄せてきます。その中でも白髪はとりわけやっかいな存在でした。染めても染めても、すぐにキラリと光る。せっかく美容院できれいに染めても、数週間もすればまた根元が白くなってくるのです。

「そんなに頻繁に美容院へ行ってられない」「いっそのこと白髪染めをやめてしまおうか」——そんな考えがよぎるたびに、「一気に老けて見えるのではないか」「身だしなみに手を抜いていると思われるのではないか」という不安が頭をもたげます。結局やめる決心がつかないまま、日に日に白髪隠しでは間に合わなくなり、とうとう自分で髪を染めるようになりました。

終わりのない戦いに気づいたとき

ところが、セルフカラーを続けるうちに異変が起きました。頭がかゆい。生え際が後退している気がする。地肌が透けて見え始めている——。鏡をのぞき込みながら、ふと思ったのです。

私は一体、誰のためにこんなに必死になって白髪を隠しているのだろう、と。

若い頃のような髪に戻れるわけではない。それなのに、終わりのない戦いに時間もお金も、そして大切な髪と頭皮の健康まで差し出し続けている。必死に抗い続けることへの疲れが、じわじわと心に染み込んできました。

そしてもうひとつ、大切なことに気づきました。人は、他人のことをそんなに気にしていないものだ、ということです。そう思った瞬間、ふっと肩の力が抜けました。

「もう、白髪との戦いをやめてみよう」「地肌を守れるのは自分だけだ」

その日から一切染めるのをやめて、完全なグレイヘアを目指すことに決めました。染める頻度を少しずつ減らすような中途半端なことはしない。明るいハイライトで白髪をごまかすスタイルも、ブリーチが地肌に優しくないから選ばない。鏡の中で白髪を見つけても、「まあ、年齢を重ねれば当然のことだよね」と、ありのままの自分を許してあげる。そう決めたのです。

「他人の目」を手放したら、心が軽くなった

「他人の目」から自分を解放してあげると、驚くほど心が軽くなりました。確実に老けて見えるようにはなったかもしれません。でも、髪や頭皮がボロボロになるよりずっといい。そう思えるようになった自分が、少し誇らしくもあります。

人生の半分を過ぎた今、これからは「誰かからどう見られるか」よりも、「自分が心地よく過ごせるか」を優先して生きていきたい。そう考えを変えていくうちに、白髪は私にとってただの「老いのサイン」ではなくなりました。他人軸から卒業し、自分軸で生き直すための「変化のサイン」だったのかもしれないと、今では思えるのです。

終わりのない戦いをやめることができて、鏡に映る自分を見るのが以前より少しだけ好きになりました。ツヤのあるグレイヘアの上品さを少しずつ手に入れながら、大人の階段をもう一段登っていく。これもまた、私にとっての大切な「育て直し」の一歩です。

おわりに

白髪に限らず、年齢を重ねるにつれて「こうあるべき」という思い込みに縛られていることは、意外と多いのではないでしょうか。みなさんは今、誰かの目を気にして手放せずにいるものはありますか?もしあるとしたら、それを手放したとき、どんな景色が見えるでしょうか。

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