片付けようと思ってできなかった部屋。始めようと決めて三日坊主で終わった習慣。そういう「できなかった記憶」が、ふとした瞬間に顔を出すことって、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。
たとえば、朝のウォーキングを始めようとしたこと。夜はあまり食べないようにしようと決めたこと。片付け・衣替えだって、その日のうちには終わらなくて、まとまった休みにやろうと先延ばしにして、結局そのまま……ということが何度もありました。鏡で自分の顔を見たとき、散らかった部屋を見たときにハッとする。「やっぱりできなかったな」と、小さくため息をつく。そんなことを何年も繰り返してきたなぁと、半ば諦めの境地で過ごしてきたのです。
「あの時の私は、精一杯だったんだ」と気づいた瞬間
でも最近、なんとなく感じ方が変わってきました。「精一杯やって、あの結果だったんだから、それで悪いことないんじゃないか」と、ふと思えた瞬間があったのです。そんな自分でもここまで生きてこられたし、日々の暮らしもなんとか回っている。そう思えることが増えてきました。そして少しだけ胸が軽くなっていることに気が付きました。
若い頃は「もっと自分を良くしよう」と無意識に意気込んだり、「このままでいいはずないんだ」とできもしない習慣を身につけようと無理をしていました。でも、振り返ってみると、できなかったことには必ず理由がありました。体力が気力に追いつかなくなっていたこと。思った以上に心に余裕がなかったこと。心配事やストレスに目を向けないように、自分を回復させる方向にエネルギーを使っていたこと。自覚がなかったけど、実はいっぱいいっぱいだったのです。
「それは言い訳だ」と思う方もいるかもしれません。でも、真面目にやってきたつもりです。果たして積極的に言い訳をしたのでしょうか?
そうやって自分を調整しながら、自分の機嫌を取りつつ、なんとかやってこられたのだとしたら、それはそれで立派なことなのではないでしょうか。あの時の私は、精一杯だったのです。そう認めてあげられたとき、できなかった自分を否定しなくてもいいんじゃないかなと、自然に思えるようになりました。51歳を過ぎたあたりからのことです。
完璧じゃなくても、続けてこられた時間に価値がある
もちろん今でも、元気なときには「できなかったな」という後悔をすることもありますし、「このままいったらどうしよう」と不安にかられる時だってあります。でも、ここまでやってこられたのだから、この先もそんな大変なことにはならないだろうと、どこかで自分を楽観的に見られるようにもなってきました。
気づいたのは、私はずっと完璧主義だったんだなということです。全部やりきらなければ意味がない、と思い込んでいました。でも、完璧ではなくても続けてこられたという時間のほうに、本当の価値があるのだと感じられることが最近は増えています。やりきれなかったことはたくさんあるけれど、だからといってこの先まったくやらない・できないということでもない。やったっていいし、ペースだって自由でいい。それでもここまで来た。それだけで自分には価値があるじゃないかと、気持ちを切り替えていける自分になれたこと。それは若い時にはなかった力で、今の自分だからこそできることなのだと思います。
負の力よりも、前向きな気持ちをエネルギーに
「できなかった」という記憶・体験は、もしかしたら簡単には忘れられないかもしれません。でも、その記憶に引っ張られ続けてもしょうがないですし、「次こそは」と自分を追い詰めるよりも、ここまでやってきた自分を認めてあげるほうが、ずっと幸せなのではないかと思うのです。負の力をエネルギーにするよりは、もうこれからは前向きな気持ちをエネルギーにしたほうが、きっと穏やかに歩いていける。
皆さんの心の引き出しの奥にも、まだ自分を責めて許せていないことが眠っていたりしませんか。もしそうだとしたら、「あの時は精一杯だったんだ」と、一度だけでも自分に言ってあげてみてほしいのです。その一言で、少しだけ胸が軽くなる瞬間が訪れるかもしれません。


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