最後に涙を流したのはいつだったか。
思い返してみると、もうずいぶん前のことのような気がします。確か数年前に、とても辛いことが重なった時期がありました。その頃は涙が出るほどの感情の波が押し寄せてきて、本当に苦しかった記憶があります。でも、あの経験以来でしょうか。涙が出るような感情の動きが、めっきり少なくなったように思うのです。
鈍感になっただけなのかもしれません。それでも、ふとした瞬間にぶわっと込み上げてくるような、泣き出したくなるような気持ちの高ぶりが、たまにやってくることはあります。けれど、実際に涙として外に出ることは、ほとんどなくなりました。
感情を上手に受け流す技術と、その代償
五十年以上も生きてきますと、辛いことがあっても「これはたいしたことじゃない」と自分に言い聞かせて、さらっと受け止める術が身についてきます。感情を大げさに揺さぶられないように処理して、ストレスだと感じないように、自分のご機嫌を上手に取る。そうやって日々をやり過ごしてきました。
ストレスを溜め込んで爆発しないように、少しずつ発散して、なるべく平穏に。以前よりもずっと上手にやれるようになったと思います。
でも、正直に言えば、年齢を重ねるごとに「正面から向き合わないとやっていけない」と感じるほどの辛いことは、若い頃よりも増えている気がするのです。身近な人との関係のこと、自分自身の体や心の変化のこと、将来への漠然とした不安。人それぞれかもしれませんが、少なくとも私の場合はそうです。
向き合うことをやめて、心が折れてしまわないように、上手に受け流す。そうやってきたつもりでした。けれど最近、ふと気づいたことがあるのです。受け流してきたはずの感情は、実はどこにも消えていなかったのではないか、と。ちゃんと心の奥底に積み重なっていて、見えないところで静かに膨らんでいたのではないか、と。
涙という「出口」の大切さ
どこかで、その積み重なったものに出口を見つけてあげないといけないのかもしれません。
涙と一緒に何らかの化学物質が体の外に流れ出ていって、それですっきりした気分になる。そんな話を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の記憶も少し曖昧ですが、たしかストレスに関する化学物質が涙と一緒に排出されるという研究があったかと思います。
知り合いに「ドラマや映画は笑えるものがいい、気分が良くなるほうがいいに決まってる」と言っている方がいましたけれど、私も賛同はしますが、そんなに割り切れませんでした。もちろんジャンルやストーリーの展開にもよりますが、共感して泣けるような作品の方が、観た後に気持ちがすっきりするのです。
冷たい言い回しかもしれませんが、あれは一種の「感情処理」だったのかなと、今になって思います。日常では出せない涙を、物語の力を借りて流していたのかもしれません。自分では意識していなかったけれど、心のバランスを保つために、無意識のうちにそうしていたのだとしたら、人間の心というのはなかなか賢いものだなと感心してしまいます。
涙は心のリセットボタン
涙って、やっぱり心のリセットボタンなのかもしれません。
思わず涙が出てしまった、という経験が、最近の私にはほとんどありません。辛いことがあっても処理できてしまう。それは一見、強くなったようにも見えますが、もしかすると感情の出口をふさいでしまっているだけなのかもしれないのです。
大きな感情の爆発に発展してしまう前に、適度に泣くこと。映画やドラマでもいい、音楽でもいい、誰かの言葉でもいい。何かをきっかけにして、溜まったものをそっと外に出してあげること。それは決して弱さではなくて、自分を大切にするための、とても健やかな行為なのではないかと思うのです。
この年齢になって、「上手に泣ける自分」でいることの方が、「泣かずにやり過ごせる自分」でいることよりも、ずっと大事なのかもしれないと感じています。
みなさんは最近、涙を流したのはいつですか。そしてその涙のあと、少しだけ心が軽くなったような感覚はありましたか。もしよければ、ご自身の「涙とのつきあい方」について、少し思い返してみていただけたら嬉しいです。

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