「隣の芝生は青い」という言葉がありますよね。ベランダに並んだ鉢植えを眺めていて、お隣の鉢の方がよく育っているなと感じたことはないでしょうか。私はまさに、隣の芝生が青く見えるタイプでした。そして最近、それが仕事の場面でじわじわと自分を追い詰めていることに気がついたのです。
同じ土壌にいるのに、芽の出方が違う
自分でもびっくりするくらい、人と比べてしまう癖があるなと改めて感じています。同じタイミングで異動になって集まったメンバーと、普通に会話をしているだけなのに、「誰が一番仕事ができるのだろう」なんてことを、なんとなく考えてしまうのです。
初対面のときに「きっとこうなるのかな」と思っていたことと、現実はずいぶん違ってきています。毎日毎日、同じ情報にさらされているはずなのに、私はなかなか芽が出ない。一方で、他の人たちはスポンジのように情報を吸収して、整理して、必要なタイミングで必要なことを必要な量だけ、必要な相手に出していく。それをさらりとやってのけている。その差が目に入るたびに、「なんで私は……」と、じわじわと落ち込んでくるのです。
同じ時間、職場にいて——もしかしたら他の方のほうが長い時間いたのかもしれませんが——やっていることは同じだったはずなのに。同じ話を聞いていたはずなのに。なぜこんなにも育ち方が違ってしまったのだろうと、考えれば考えるほどよくわからなくなります。
原因を探しても、悪者はいない
正直なところ、私自身にも要因がまったくないとは言い切れないと思っています。少し落ち込むこともあります。でも、それが「悪いこと」なのかというと、結局のところ自分が苦労するだけの話で、誰かに迷惑をかけているわけでも、何かが間違っているわけでもないのです。
50代になれば、同世代の中にも役職を持っている方はたくさんいます。年齢の割には役職がない自分のことを、周りもだんだんとわかってくるわけで、「なぜだろう」と思われることもあるかもしれません。上の立場の方との関係でも、折り合いがつかない部分がこれまでありました。最近になって担当の方が変わったので、改善の余地があるなら協力してやっていきたいという気持ちはあります。歩み寄りの姿勢は、私の側にはあるつもりです。
でも、そうしたことをひとつひとつ気にしていたってしょうがないのですよね。
ゆっくり育つ樹木でいい
最近ようやく、こう思えるようになりました。私はゆっくり育つ樹木なのだと。早く大きくなる木もあれば、何十年もかけて静かに根を張る木もある。ゆっくりでも、ちゃんと根を張って育っていけばいい。そう割り切ることにしました。
どうしても、他の人と比べて「遅れているな」と感じてしまうことはあります。でもそれは、あくまで比べた結果にすぎません。水や土が違えばペースも変わるし、きっと自分にしか咲かせられない花もあるはずです。年齢のせいにはしたくないけれど、認知能力が少しずつ衰えてくるのもまた事実で、そこは抗っても仕方がありません。ペースが違うのは、欠点ではなく個性なのだと受け止めたい。
こうして生きていられるだけでいいかな、と思える日がある。それだけで十分なのかもしれません。
誰かと比べて「自分は遅い」「自分にはこれができていない」と感じる瞬間、皆さんにもあるでしょうか。そのとき、本当に「遅い」のでしょうか。それとも、ただペースが違うだけなのでしょうか。もしよければ、あなた自身の「隣の鉢」との付き合い方を、少し立ち止まって考えてみていただけたらうれしいです。

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