白髪染めをやめた日

受け入れる

洗面所の鏡の前に立つと母親に似た、醜い女性がこっちを見つめています。憂鬱な気分。 理由は、生え際でキラリと光る「白髪」です。

ため息交じりに「また美容院へいかないと」

「少しでも若々しくしていたい」「きちんとしていなくては」

こう思うのって、ひょっとしてテレビCMや雑誌に刷り込まれた美意識や見栄なのでは?

50代は心も体も大きく変化する年頃です。白髪だけではありません。
シミやしわ、体型の変化など、自分の力ではどうにもならない波が次々と押し寄せてきます。

白髪はやっかいです。染めても染めてもすぐ光ります。せっかく美容院で染めても数週間もすればまた根元が白くなってくる。

「そんなに頻繁に美容院へ行ってられない」
「いっそのこと白髪染めをやめてしまおうか」

「いや、一気に老けて見えるのではないか」
「だって、身だしなみに手を抜いていると思われそう(実際そう)」

しかし日に日に、白髪隠しでは間に合わなくなり、とうとう自分で髪を染めることに。

ある日のことです。

「頭がかゆい!」
「何だか生え際が後退している?(私が前進している?)」
「地肌が見えてる?全体的に透け始めてる?」

ふと思ったのです。 私は一体、誰のためにこんなに必死になって白髪を隠しているのだろう、と。

必死に抗い続けることはもうあきらめよう。人は他人のことをそんなに気にしていないものだ
そう気づいたとき、ふっと肩の力が抜けました。

「もう、白髪との戦いをやめてみよう」
「地肌を守れるのは自分だけ」

その日から一切染めるのをやめて完全なグレイヘアを目指すことにしました。

染める頻度を少し減らして、無理のないペースに変えてみる、のは中途半端。
明るいハイライトを入れて白髪を誤魔化すスタイルは、ブリーチが地肌に優しくない。
鏡の中で白髪を見つけても、「まあ、年齢を重ねれば当然のことだよね」と、ありのままの自分を許してあげる。

そうやって「他人の目」から自分を解放してあげると、驚くほど心が軽くなりました。
確実に老けては見えるのだけれど、髪や頭皮がボロボロになるよりずっといいよね。

ツヤツヤのグレイヘアの上品さを手に入れて、大人の階段を登りましょうね。

人生の半分を過ぎて、これからは「誰かからどう見られるか」よりも、「自分が心地よく過ごせるか」を優先して生きていきたい。 だんだん考えを変えていくと、白髪は私にとってただの「老いのサイン」ではなく、他人軸から卒業し、自分軸で生き直すための「変化のサイン」だったのかもしれません。

終わりのない戦いをやめることができ、鏡に映る自分を見るのが、以前より少しだけ好きになりました。これもまた、私にとっての大切な「育て直し」の一歩です。

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