最近、ふと気づいたことがあります。いつの間にか、人の目をあまり気にしなくなっていました。
若い頃は違いました。悲しいことがあれば泣き、悔しいことがあれば泣き、本当に泣き虫だったのです。それが今では、泣きたいような気持ちになっても、不思議と涙が出なくなりました。年齢を重ねるというのは、こういうことなのかもしれません。涙もろかった自分が別人になったかのようですが、これはこれで少し寂しいような、でもどこか誇らしいような、複雑な気持ちです。
人間関係の大切さに気づくのが遅すぎた話
長い間、一人で仕事をしてきました。依頼者との関係さえうまくいっていれば、それで十分だったのです。自分のペースで進めて、自分の力で成果を出す。それが当たり前の日々でした。
ところが、今はチームで仕事をすることが求められる時代です。他のメンバーのスケジュールや進捗を把握して、調整をするには業務以外の情報も意識的に収集しなければなりません。人の気持ちを考え、協力しながら物事を進めていく必要があるのです。正直に言えば、そのことの重要性に気づいたのは、つい最近のことでした。もう少し早く気づいていれば、と思わなくもありません。
きっと効率的なやり方ではあるのでしょう。でも、これまでのように一人で集中して取り組んでいたときのような成果が出せなくなってしまいました。意見を聞けば頭から否定されたり、これまでの積み上げが無駄になることも。自分の強みが発揮しにくくなったような感覚は、50歳を過ぎた身には、なかなかこたえるものがあります。
どうしても馴染めないつらさと、無理をしないという選択
同僚たちは楽しそうに仕事を進めているように映ります。冗談を言い合ったり、テンポよくやり取りをしたり。でも、私はなかなかその輪に馴染めません。テンションの合わないやり取りに、つい内心イライラしてしまうこともあります。
だからといって、そのいらだちを同僚にぶつけるわけにはいきません。輪に入れと上司には言われますが、無理に輪に入って場の空気を壊してしまえば、かえって嫌われてしまうことは自分が一番わかっています。同僚たちは自分を作り、相手に合わせて行動し、実績を積み上げるために人の目を気にしているのでしょう。私も同じようにしなければ、と焦る気持ちがないわけではありません。
けれど、無理は本当に禁物だと思うようになりました。人の目を気にすることにばかりエネルギーを注いでいると、肝心の仕事に取り組む余裕がなくなってしまいます。把握と調整にっばかり時間と気力を使ってしまうからです。時間も気力も有限です。もちろん、最低限の配慮や歩み寄りは必要です。でも、自分を壊してまで周囲に合わせる必要はないのではないでしょうか。一番大切にすべきは、やはり自分自身です。
鈍感であることは、悪いことではない
こうして振り返ってみると、私が「人の目を気にしなくなった」というのは、ある意味で鈍感力が育ってきたということなのかもしれません。人間関係や仕事において、鈍感でいることは決して悪ではないと思います。すべてに敏感に反応していたら、心がもちません。仕事に心までやらなくていいのです。
ただ、少しだけ気をつけたいこともあります。鈍感が過ぎると、自分自身のつらい気持ちにまでフタをしてしまっていたということがあるのです。泣きたいのに泣けなくなった私のように。それは自己防衛本能ではあるのですが、感情を押し殺し続けると、いつか心が悲鳴を上げてしまいます。
忙しい毎日の中でも、自分の感情を大切にすること。つらいときはつらいと認めること。そして、たまには思いきり泣いてストレスを発散すること。涙が出なくなったと言いつつも、本当は泣けたほうが健康的なのかもしれないなと、最近は思っています。
同じように職場の人間関係に悩んでいる方は、きっと少なくないのではないでしょうか。みなさんは、人の目を気にしすぎて疲れてしまったとき、どうやって自分の心を守っていますか?


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